サポーターズ 北海道、福島で活躍!

 北海道編  「7月29日~8月1日、上富田町PR隊として北海道東川町のお祭りで物産店の売り子をしてきました。梅干しや梅を使った商品などをたくさん知ってもらいました。上富田の梅が売れるか不安でしたが、たくさん売れたので良かったです。「頑張って!」という言葉をかけてくれたので頑張れました。」 
3A 山下 美月、3E 德田 菜々子

    


 福島県編 「8月4日~7日、福島県の小学生と交流をしてきました。震災後の現状を知るために、東日本大震災についてまとめた博物館などをまわりました。考えていたより復興が進んでおらず、衝撃を受けました。また震災の影響を自分の目で見て、福島の方達と交流し感じる事はとてもたくさんありました。本当に貴重な体験が出来ました。和歌山に福島の現状を伝えていくよう、今後も活動していきたいです。」 
2E 小山 愛佳、3D 晄 真彩

    

 「福島県出会いふれ合い体験事業」に参加して
 和歌山県立熊野高等学校 3年 晄真彩
 8月4日から7日まで福島県相馬市にサポーターズリーダーから代表で2名行ってきました。
5年前におこった東日本大震災、原発事故について、そして福島県の復興状況についてなどを知ることができました。
 海沿いの地区には多くの家や建物が建っていたそうですが今ではコンクリートで舗装されているだけの更地で、所々に瓦礫が積まれており、とても5年前まで住宅街があったとは考えられませんでした。
 現在、東日本大震災についての資料が展示している建物と相馬市で亡くなられた方の慰霊碑が建っています。慰霊碑には沢山の方の名前が彫られており、家族で亡くなられた方たちが多かったそうで同じ名字が並んで彫られているのが印象に残りました。
 1度避難したが家に物を取りに帰ったため亡くなられた方。本来津波から人を守る堤防。しかし当時、堤防で津波が隠れ襲ってきている状況が見えず車で避難する人はそののまま飲み込まれ亡くなられたそうです。沢山の写真や映像などで当時の状況を教えて頂いたのですが言葉では表せないほどの衝撃を感じました。
 私はバス移動で時間があり、相馬市の小学生と話をしていると「私のおばあちゃんの家がここにあったの!」とふと窓の外を指差しました。そこには整地され家が建っていた痕跡がない更地がありました。私と6つ7つも違う女の子。被災していた事は知っていましたが、直接現場を目にし聞くと驚きを隠せず、なんと言えばいいのかわかりませんでした。
 東日本大震災が起こったことをきっかけに相馬市には防災備蓄倉庫が建てられたそうです。そこには数日間、住民の方が生きていけるように非常食や布団や毛布などが備蓄されていました。
 現在福島県では全袋検査をし、放射線の影響がないかの確認を行っています。安心安全ですが放射線の印象が強く食べて貰えないのが辛いとおっしゃっていました。特に西日本は現在の福島県の情報が行き届いていないと思うと感じるそうです。
 魚介類やお米など厳しい検査の結果食べられるものが増えていること。放射線の警戒区域が5年間での除染活動により狭くなっていること。今回、実際に福島県に行き、自分がどれだけ福島の現状を知らなかったのかがよくわかりました。福島県の人は5年前の風景に戻そうと努力しており、少しずつその活動が実を結んでいることが訪れて感じるとことができました。
 福島県に行き学んだことを沢山の方に伝え放射線のイメージから少しでも離れ少しでも良いイメージに変わるように活動をしたいと思います。